罪悪の起源

このテーマについては、

ずっと、疑問が募っていた、、、

 

然し、、、

E・G・ホワイトの、著書を、読み返すに辺り、

その謎が、解けた氣がしている、、、

(以下、個人的解釈)

 

天と地、、、

これは、創造の時より、一体として存在して来た、、、

天には、天使達、(見張りの者)、、

地には、人類、動物達、、、

最初の罪は、天で起こった、、、

ルシファーは、天において、

キリスト(ミカエル?)に次ぐ、所謂、No2の座についていた、、、

ここで、重要な事は、

全ての天使と、人間に対して、

"自由意志"が、与えられている、、という、点であろう、、、

ここで、ルシファーは、神、キリストに対して、

"嫉妬心"という、罪を抱く、、、(いと高き者になろう、、、)

完全な愛で有る、創造主=神は、

"律法"を完全な調和の証とする為、、、

反逆する、ルシファー=サタンを、直ぐには、滅ぼさなかった、、、

何故なら、

神が掲げた、律法に対して、難癖を付け、(反旗)

他の天使達を、自らに引き込んだ大闘争、、、の為、

"恐怖"による解決=(律法の証明無しにて、ルシファーを滅ぼす)事は、せず、

神自ら、その証明を"全天使"になさねばならない、状況にあった、、、

それ故に、"自由意志"の中に有って、

ルシファーに賛同する天使達も、あるがままにされる、、、

それは、"悪の種"を、全天使達に充分知らしめるために、、、

(それ以前には、悪という概念が、天には存在しなかった為、判断できなかった)

然しながら、

神は、ルシファー=サタンを、天から追放する事によって、

自らの"公義"を、宣言し、み座の栄を保たれた、、、

ルシファーの一団(堕天使群=全体の三分の一)は、追放処分の身となり、

地に落とされた、、、

では、、何故? まだ、罪を犯していない、

地の"人間"に対して、サタンが、落ちて来たのか、、、?

(その後、サタンの惑わしにより、人間も罪を犯し、堕落していく、、、)

それは、天の法則同様に、地においても、

"同じ法則"(律法=不変)が、適用される為であり、(アブラハム、、モーゼ、、)

それによって、"義"が証明される為でもあった、、、(必要性)

然しながら、全ては、完全な、愛の中に有って、

決して、恐怖・嫉妬・暴力等によって、解決されない様に、、、

(そのままでは、カオスに引き込まれ、全て駄目になる、、罪人として)

御子・"イエス・キリスト"(天使)が、

自ら、人の子(小羊)という、人間の姿をまとい、(処女懐胎)

地上に降りて、誕生し、、、(聖書・預言書)

"贖い"という、方法により、

天に帰還する役目を担った、、、(魂の救済)

その為、唯一、人間の魂は、この"法則"によってのみ、

天と一体する、"境遇"に戻る事が可能と成る、、、(創生時)

つまり、全く、悪の無い、"本来の姿"に、帰る、、、事が出来る、、、

それ故、サタンの惑わしを、証明する必要性が出て来る、、、

悪は、神の律法を打ち破り、傷つけ、捻じ曲げる事は、不可能である、、、、

という、、事の証明、、、その法則の先は、"破滅"であるとの証、、、

ルシファー=サタンの、反逆の法則は、(人間を陥れ、神を呪う)

決して、愛に導かれ、永遠の安らぎには、導かれない、、、

という、事の、証明が、全ての神の民になされた、、、

その為、

サタンは、天と地から、永遠に追放される事が、

決定的となり、、、

全ての魂が、"納得"したうえで、

"消滅"の手続を、受けるのである、、、(永遠の業火)

(サタンに従った、堕天使、人間も同様に)

麦と毒麦の仕分け、、、の意味、、、

屠られた、キリストは、現在、神の右側に座し、

地での、裁き・全権を与えられている、、、(全能の父=神の許し=証明)

(地での完全勝利の為、、、罪を犯さなかった)

それゆへ、

患難時代が、設けられている、、、

その時が、来る前に、

イエス・キリストによって、結ばれた者は、(個人的に)

その罪を"許される"のである、、、

何故なら、同じ境遇を生き、耐え忍んだ、御子は、

その痛みを充分に知り、愛によって、癒す事を許されている為であり、

その法則(律法)を、確立された、魂で有るのだから、、、(全世界に証明)

十字架によって、屠られた、、、"無実"の人間、、、

 

時が来る前に、

罪を告白し、懺悔して、信じ、繋がる、、、

それにより、許される、、、魂、、、

 

時が来た後では、

最早、この法則は、不適用とされる、、、

何故なら、、、"霊"を信じ無い者、、、(創造主の否定)

贖いの法則を、理解しない者、、、

罪を贖わない者(へりくだらない)、、とされる、、、為である、、、

(偽善者と同じ目にあわされる)

※ 多神教では、説明がつかない、起源、、、

 

詳細は、聖書へ、、、

 

 ※ 第一の死と、第二の死、、、

  悪人は、自らの境遇によって、自ら、死を選ぶ  (肉体の死=塵)

  なぜなら、純潔・愛の空間には、住めないからである、、、

 

  アダム/エバは、罪を犯し、肉体の死を体験する。。。

  然し、贖いの法則は、一度死んだ、肉体を、

  霊的な、永遠の躰に、再生する事である、、、

  キリストの復活とは、その意味で有る、、、

 

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