エピメニデスのパラドックス

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実は、法に服さない者、空論に走る者、

人の心を惑わす者が多くおり、とくに、割礼のある者の中に多い。

彼らの口を封ずべきである。

彼らは恥ずべき利のために、教えてはならないことを教えて、

数々の家庭を破壊してしまっている。

クレテ人のうちのある預言者

「クレテ人は、いつもうそつき、

たちの悪いけもの、なまけ者の食いしんぼう」

と言っているが、

この非難はあたっている。

だから、彼らをきびしく責めて、その信仰を健全なものにし、

ユダヤ人の作り話や、

真理からそれていった人々の定めなどに、

気をとられることがないようにさせなさい。

きよい人には、すべてのものがきよい。

しかし、汚れている不信仰な人には、

きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。

 

(ヘブライ人への手紙)

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それについては、聖書に

「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」

とあかしされている。

このようにして、一方では、

前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になると共に、

(律法は、何事をも全うし得なかったからである)、

他方では、さらにすぐれた望みが現れてきて、

わたしたちを神に近づかせるのである。

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もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、

あとのものが立てられる余地はなかったであろう。

ところが、神は彼らを責めて言われた、

「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、

新しい契約を結ぶ日が来る。

それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、

エジプトの地から導き出した日に、

彼らと結んだ契約のようなものではない。

彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、

わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。

わたしが、それらの日の後、

イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、

と主が言われる。

すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、

彼らの心に書きつけよう。

こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。

彼らは、それぞれ、その同胞に、

また、それぞれ、その兄弟に、

主を知れ、と言って教えることはなくなる。

なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、

彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。

わたしは、彼らの不義をあわれみ、

もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。

神は、「新しい」と言われたことによって、

初めの契約を古いとされたのである。

年を経て古びたものは、やがて消えていく。

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しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、

手で造られず、この世界に属さない、

さらに大きく、完全な幕屋をとおり、

かつ、やぎと子牛との血によらず、

ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、

それによって永遠のあがないを全うされたのである。

もし、やぎや雄牛の血や雌牛の灰が、

汚れた人たちの上にまきかけられて、

肉体をきよめ聖別するとすれば、

永遠の聖霊によって、

ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、

なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、

生ける神に仕える者としないであろうか。

それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。

それは、

彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、

召された者たちが、

約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。

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それだから、キリストがこの世にこられたとき、

次のように言われた、

「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、

わたしのために、からだを備えて下さった。

あなたは燔祭や罪祭を好まれなかった。

その時、わたしは言った、

『神よ、わたしにつき、巻物の書物に書いてあるとおり、

見よ、御旨を行うためにまいりました』」。

ここで、初めに、

「あなたは、いけにえとささげ物と燔祭と罪祭と

(すなわち、律法に従ってささげられるもの)を望まれず、

好まれもしなかった」とあり、

次に、「見よ、わたしは御旨を行うためにまいりました」とある。

すなわち、彼は、後のものを立てるために、

初めのものを廃止されたのである。

この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだが

ささげられたことによって、わたしたちはきよめられたのである。

こうして、すべての祭司は立って日ごとに儀式を行い、

たびたび同じようないけにえをささげるが、

それらは決して罪を除き去ることはできない。

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しかるに、キリストは多くの罪のために

一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、

それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。

彼は一つのささげ物によって、

きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。

聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、

「わたしが、それらの日の後、

彼らに対して立てようとする契約はこれであると、

主が言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、

彼らの思いのうちに書きつけよう」と言い、

さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」

と述べている。

これらのことに対するゆるしがある以上、

罪のためのささげ物は、もはやあり得ない。

兄弟たちよ。こういうわけで、

わたしたちはイエスの血によって、

はばかることなく聖所にはいることができ、

彼の肉体なる幕をとおり、

わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、

はいって行くことができるのであり、

さらに、神の家を治める大いなる祭司があるのだから、

心はすすがれて良心のとがめを去り、

からだは清い水で洗われ、

まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、

みまえに近づこうではないか。

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